チャパル(Čapar, ? - 1315年)は、14世紀のモンゴル王族で、オゴデイ・ウルスの盟主。カイドゥの長男。漢字表記は察八児。
オゴデイ・ウルスのみならずチャガタイ家やアリクブケ家のウルス(遊牧所領)を服属させて中央アジアに王国を築いていたカイドゥの長子であるが、母親の身分が低く、後継者候補から外されていた。1301年、カイドゥが大元ウルス(元朝)との戦いで受けた傷がもとで死亡すると、実力のないカイドゥの子らに代わってマーワラーアンナフルに影響力を有していたチャガタイ家当主でバラクの息子ドゥアが発言力を持つようになるが、チャパルはドゥアの後援を受け、カイドゥが生前に後継者に指名していた弟オロスとの間でオゴデイ家の後継者の地位を巡って内紛を始めた。この過程で1304年、ドゥアとともに元に遣使し、大元ウルスを祖父クビライから継いだモンゴル皇帝(カアン)、テムルに臣従を誓い、カイドゥのもとで30年来続いていた中央アジア諸王家と大元ウルスのクビライ皇帝家との争いを終結させた。
しかし、オロスとチャパルの争いは時を経るに従ってオゴデイ家の分裂を促進させ、そこにドゥアのチャガタイ家と、懐寧王カイシャン率いる元のモンゴル高原駐留軍が介入した。オゴデイ家の本拠地ジュンガリア(現在の新疆ウイグル自治区北部)は西のイリ川渓谷地方を本拠地とするドゥアの軍と東のアルタイ山脈を越えて侵入してきたカイシャンの軍によって挟み撃ちされる形勢になり、1306年にカイシャン軍がジュンガリアを平定した。これにより、旧オゴデイ家領の遊牧民はドゥアの保護下に入り、いまや邪魔者としてドゥアに追われる身となったチャパルは1310年ついに元に投降した。このころ大元ウルルの皇帝となっていたカイシャンはチャパルの来帰を喜び、曽祖父クビライの時代に中国内のカイドゥの領地として設定されていた河南省南部の地を授け、汝南に住まわせた。
1315年、チャパルはカイシャンの弟で次のモンゴル皇帝(カアン)となったアユルバルワダによって汝寧王の爵位を与えられ、同年に没した。
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