2009年12月16日

位相差顕微鏡

無色透明ではあるが屈折率が異なる部分からなる試料を観察する為の顕微鏡。屈折率が大きな媒質中を通る光は、屈折率が小さい媒質中を通る光よりもその位相が遅れる。この位相差に関わる回折光を利用する顕微鏡である。コンデンサーと対物レンズにより位相のずれた回折光同士を干渉させ、位相差を明暗に変えて観察する。この方法により、ほとんど透明な生物細胞の内部構造を観察することが可能である。位相差コンデンサーと位相差用対物レンズを利用する。1934年オランダのゼルニケ が考案。1953年ノーベル物理学賞受賞。

光の偏光性と干渉性を利用して、無色透明な細胞や金属表面の段差などを観察する顕微鏡。偏光素子とウォラストンプリズム(ノマルスキープリズム)によって光線を分離して試料面を通過させ、試料で生じる光路差の微分値を像面でコントラストに変える。試料面での光線の分離量をシアー量といい、分解能やコントラストに影響する。現在の顕微鏡では、スミス・ノマルスキー型という構成が多い。

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物体は内部構造や結晶構造によって、光の振動方向を変える偏光性を有する。この偏光性を観察する方法である。光学顕微鏡のコンデンサーの場所にポラライザー(偏光板)を置き、対物レンズの後ろに遅延版とアナライザー(偏光板)を置き、試料の偏光性や複屈折性を明暗や色の違いとして観察する。偏光板の回転に応じて、結晶などは鮮やかな色で観察される。岩石などの結晶や、生物試料に含まれる結晶質の物質(細胞外マトリックスや異常沈着物のそれぞれ一部など)の観察に用いられる。

偏光顕微鏡の欠点であるアナライザーの回転の煩わしさと、得られた画像データの解析処理の複雑さを簡便にするシステムとして、近年 LC-Polscope が発明された。これは電子的に制御できる偏光板と画像解析装置を組み合わせたもので、結晶構造の偏光方向と偏光の強さが一度の観察で得られる。無染色、無侵襲で細胞骨格が観察できるため、人工授精させた家畜の受精卵の選別などに用いられている。

2009年12月01日

各国・地域の大麻政策

1990年、国連総会決議45/179に基づき設置された国連薬物犯罪事務所(UNODC)と、その機関の国連薬物統制計画(UNDCP)によって大麻は不正薬物に指定されており、国際的に問題視されている。

今日では、多くの国が大麻に関して原則的に規制をする法律を規定している。これらの法律は、国連の麻薬に関する国際3条約(1961年「麻薬に関する単一条約」/1971年「向精神薬に関する条約」/1988年「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」)を批准するに先立ち、国内法を整備するものでどの国でも同程度の規制を整えている(北朝鮮でさえ2007年に同3条約を批准している)。ただし、条約批准国の中には、一部の国の一部地区において、使用形態・使用用途などを絞って、例外的に許可される場合が存在する。
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アメリカ合衆国議会が定める連邦法の規制物質法では、少量の所持であっても違法である。大麻は規制物質法の中で、「スケジュールI」に分類される。スケジュールI物質は、処方箋に書かかれることがない。スケジュールI物質は、麻薬取締局による製造割り当てにより製造が制約される。と定められ、DEAによって厳格に取り締まりを受ける。
州による法の運用は、多くの州が規制物質法に従って執行している。ただ、一部の州(50州中のうち13州)では、自己使用目的の少量(1オンス=約28g以下)の所持が罰金刑などに指定される場合がある[179]。もちろん、これらの13州でも「1オンスを超える量の所持」「大麻樹の所持」「大麻の栽培」「大麻の販売・輸送・配布」「所持量に関わらず、販売目的での所持」などは重罪であり、懲役刑が課される。

2009年11月27日

半無煙炭

半無煙炭
炭素含有量80%以上。無煙炭に次いで石炭化度が高いが、粉鉄鉱焼結にも適さない一方、電力等微粉炭ボイラー用としては揮発分が少なすぎて適さず、比較的安値で取引される一般炭。セメント産業の燃料や流動床ボイラに使われる。着火性に劣るが比較的発熱量が高く、内陸工場への輸送コストが安くつく。
瀝青炭
炭素含有量83?90%。粘結性が高いものは、コークス原料に使われ、最も高値で取引される。
亜瀝青炭
炭素含有量78?83%。瀝青炭に似た性質を持つが、水分を15?45%含む。粘結性が殆ど無いものが多い。コークス原料には使えないが、揮発分が多くて火付きが良く、熱量も無煙炭・半無煙炭・瀝青炭に次いで高く、電力用/産業用微粉炭ボイラーに大量の需要があり、一般炭の中では比較的高値で取引されている。豊富な埋蔵量が広く分布している。日本で生産されていた石炭の多くも亜瀝青炭であった。
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褐炭
炭素含有量70?78%。石炭化度は低く、水分・酸素の多い低品位な石炭。練炭・豆炭などの一般用の燃料として使用される。色はその名の示す通りの褐色。水分が高すぎて微粉炭ボイラの燃料としては粉砕/乾燥機の能力を超えてしまう場合が多く、重量当たり発熱量が低いので輸送コストが嵩み、脱水すれば自然発火しやすくなるという扱いにくい石炭なので価格は最安価で、輸送コストの関係で鉱山周辺で発電などに使われる場合が多い。最近褐炭を脱水する様々な技術の開発が行われている。
亜炭
褐炭の質の悪いものに付けられた俗名。炭素含有量70%以下。褐炭も含めて亜炭と呼ぶ場合もあり、その基準は極めて曖昧である。学名は褐色褐炭。埋れ木も亜炭の一種である。日本では太平洋戦争(大東亜戦争)中に燃料不足のため多く利用された。現在は土壌改良材などとして輸入された亜炭が極少量が利用されている。

2009年11月13日

柿の葉の利用

ビタミンC、KやB類といったミネラル分フラボノイドなどを多く含み血管を強化する作用や止血作用を持つとされるため、飲用するなどで民間療法に古くから用いられてきた。また近年では花粉症予防に有効とされ、従来の茶葉としてだけではなく成分をサプリメント等に加工され商品化されたものも流通している。飲用方法としては、5-6月頃に収穫した葉を天日で乾燥させ粉末化し煎じることが一般的である。

またその殺菌効果から押し寿司を葉で巻いたり(柿の葉寿司)、和菓子などの添え物にされることもある。
柔らかい初春の若葉は天ぷらにして食用に出来る。

木質は堅く、家具などに利用される。加工がやや難しく割れやすいため、建築材としては装飾用以外には使われない。また、かつてのゴルフクラブ(ウッド)のヘッドには柿材(特にアメリカガキ)を使った物が多くパーシモンの名で呼ばれていたが現在では金属製のウッドが普及したためにあまり使われなくなった。
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「柿の花」は夏、「柿」・「熟柿」・「木守柿」は秋の季語である。なおこの木守柿とはカキノキになった柿の実をすべて収穫せず、木になったまま残しておく数個の柿の実のことである。「こもりがき」、「きもりがき」、「こまもりがき」、「きまもりがき」と読まれる。このような風習は来年の豊作への祈願であるとも、野鳥のために残しておくともいわれる。なお、ユズなどについても同じような風習がある。

なおこけら落としの「こけら」は「杮」と書くが、これは音読で「ハイ」と読む画数8画の漢字であり画数9画の「柿」(かき・シ)とは全く異なる文字である。
「桃栗三年柿八年」 と言われ、播種から初回結実までの期間は長い。

2009年11月03日

食料自給率

食料自給率(しょくりょうじきゅうりつ)とは、1国内で消費される食料のうち、どの程度が国内産でまかなわれているかを表す指標。食料を省略して自給率と言われる場合もある。

各都道府県のカロリーベースの食料自給率では、100%を超える都道府県は北海道と青森県、岩手県、秋田県、山形県のみである。北海道は192%と全国一の値を誇る。一方、一番低い東京都は、約1%となる。

また、穀物自給率は28%となっている。これは、173カ国・地域中124番目(2002年時点)となっている。
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日本国民の意識としては、7割の人が食料自給率を低いと感じている。
4大穀物(米・小麦・トウモロコシ・大豆)のうち、小麦・トウモロコシ・大豆のほぼ全量を輸入に頼っている事が大きい。その背景には水稲が単位面積あたり収量が高いのに比して小麦・トウモロコシ・大豆はさほどでもなく、広大な農耕地の確保が収量単価引き下げに影響すること、日本の国土(山間部が多く大規模平野が少ない)・風土与件(温暖多雨)として単位収量の高い水稲栽培が適していた事など栽培収量の効率性に関する与件がある。また小麦・大豆・トウモロコシには連作障害の問題があり[7]、水稲から転作した場合毎年おなじ作付けを行うことが出来ず、休耕か輪作(たとえば大豆ならイネ→大豆→根菜→イネが代表的)が必要となり設備投資や農地改良に非効率的なことがあげられる。食事の洋食化や外食の増加、第二次世界大戦以降のアメリカによる小麦戦略の影響など、国民の食料消費品目の変化に、国内の農業が対応できなかったとの指摘がある。

2009年10月22日

強酸性電解水

強酸性電解水は略されて強酸水や強酸化水とも呼ばれる。1987年に強酸化水オキシライザーが誕生し、開発された水である。強い殺菌力を持つことが特徴である。強酸性電解水は厚生労働省によって、生成装置とのセットで1996年に洗浄消毒、1997年に内視鏡洗浄消毒、2002年に次亜塩素酸水として食品添加物に認可された。日本で食品に使用する場合は、最終食品の完成前に除去することと厚生省告示により定められている。

通常の消毒液で用いる次亜塩素酸ナトリウム溶液はアルカリ性の為、ClO-が主成分であるのに対して、中程度の酸性である強酸性水ではHClOが主成分であり。、10から20分の1の濃度で十分な殺菌力がある。食品・医療・農業といった産業分野での採用がすすんでいる。
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自然状態でアルカリ性を示す水や、電解整水器で生成された水でアルカリ性を示す。

脂汚れはアルカリ性にするとその一部が加水分解され脂肪酸アルカリ金属塩となり界面活性剤としての役割を発現する。このことは合成洗剤が普及する以前においては有史以前からアルカリ性物質(木灰など)が洗剤として利用されてきたことの原理である。こうしたことからアルカリ性電解水は、掃除・洗浄の用途で利用されている。

2009年06月21日

破産法(平成16年法律第75号)により規律される

破産手続
破産法(平成16年法律第75号)により規律される手続であり、裁判所が選任した破産管財人が支払不能又は債務超過の状態にある者の財産を清算することを目的とした手続である。もっとも、消費者破産の急増により、個人が破産を申し立てる場合は、破産手続開始の決定はしつつも手続費用の不足を理由に破産管財人を選任しないことが多く(同時廃止)、その結果、財産の換価・清算ではなく専ら免責を得るために手続が利用されることが多い。
特別清算手続
会社法(平成17年法律第86号)第2編第9章第2節第1款により規律される手続であり、解散して清算手続に入った株式会社について、清算の遂行に著しい支障を来す事情がある場合や債務超過の疑いがある場合に、清算人が裁判所の監督の下で清算を行う手続である。会社法に組み込まれている手続であり独立した法典が存在しないが、倒産四法制の一つとして位置づけられている。破産手続と異なり、原則として従前の清算人がそのまま清算手続を行う。
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世界歴史
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麦茶百科
四季の祭り
秋田の情報
リス情報
アイス工房

再建型手続 [編集]
民事再生手続
民事再生法(平成11年法律第225号)により規律される手続であり、経済的に窮境にある者について、債権者の多数の同意を得てかつ裁判所の認可を受けた再生計画を定めること等により、事業又は経済生活の再生を図ることを目的とする手続である。和議法(大正11年法律第72号)により規律されていた和議手続に代わるものとして設けられた(民事再生法の制定に伴い和議法は廃止)。民事再生手続の対象となる経済主体は特に限定されていないが、個人が手続を利用しやすくするために、小規模個人再生及び給与所得者等再生に関する特則(個人再生手続)が設けられている。
会社更生手続
会社更生法(平成14年法律第154号)により規律される手続であり、窮境にある株式会社について、裁判所の監督の下に、裁判所が選任した更生管財人を中心として債権者や株主その他の利害関係人の利害を調整し、株式会社の事業の維持更生を図ることを目的とする手続である。
特定調停手続
特定債務等の調整の促進のための特定調停に関する法律(平成11年法律第158号)により規律される手続であり、支払不能に陥る恐れのある者の経済的再生を資するための調停手続として、民事調停法(昭和26年法律第222号)の特例として設けられた手続である。いわゆる倒産処理手続のカテゴリーには含まれないことが多いが、現実的には、消費者破産を回避するために利用されることが多いため、倒産処理手続として把握される場合もある。
(会社整理手続)
商法旧第2編第4章第7節により規律されていた手続であり、支払不能又は債務超過に陥るおそれがある株式会社について、裁判所の監督の下に、利害関係者の協力を得て整理案をまとめ、会社の維持を図る手続である。債権者の多数決制度が採られていない等の問題があることや、民事再生法の制定により利用価値が激減したこともあり、会社法の施行に伴い廃止された。

任意的倒産処理 [編集]
私的整理(任意整理・内整理)
債務者が債権者らと任意に協議して財産関係を処理することをいう。債務者が個人である場合には経済的再生を目的とすることになるが、法人である場合には清算を目的とすることも再生を目的とすることもある。法的倒産手続とは異なり、債権者と債務者の当事者間での合意に基づいて債権を処理するものである。債権者が消費者金融、クレジット会社、銀行などの場合は、債務者本人が任意整理をしようとしても債権者がこれを相手にすることは少ないため、通常は弁護士や司法書士などに依頼することになる。債権者らが消費者金融の場合、約定利息を利息制限法に引きなおすことで債務額を減額し、また36回から60回程度の分割払いで和解することによって債務を整理することが多い。法的倒産処理手続と異なり公の機関による監督がないため、時間的・経済的に有利ともいえるが、整理案に反対する債権者を拘束する手段がないことや、不平等な整理案が作られる可能性が高いなど不正が行われやすい弊害もある。
産業活力再生特別措置法所定の特定認証紛争解決手続き(事業再生ADR手続)

2009年04月30日

フランシスコ・ピサロ

フランシスコ・ピサロ(Francisco Pizarro、1471年もしくは1478年 - 1541年6月26日)は、スペイン人のコンキスタドール。インカ帝国を征服した。カスティーリャ王国エストレマドゥーラのトルヒージョの生まれで、父はゴンサロ・ピサロ、母はフランシスカ・モラレス。

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1498年から1502年にかけてイタリア戦争に参加した後、1502年にニコラス・デ・オバンド総督の着任航海でエスパニョーラ島へ渡る。1513年にバルボアのパナマ遠征に同行し、太平洋に到達。その後、探検家ディエゴ・デ・アルマグロと共に、何度か南アメリカを探検し、ペルーのインカ帝国の存在を知る。 1528年にスペインに戻り、カルロス1世(後の神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取った。募集した兵士とともに1530年、パナマに戻った。

1531年には約180人の手勢と37頭の馬を引き連れ、パナマを出港し、ペルーへの侵入を開始した。サン・マテオ島で騎馬隊を下船させ、トゥンベスまで南下し、サン・ミゲル・デ・ビウラを建設した。その後、インカ皇帝アタワルパを追って南進した。1532年にカハマルカでアタワルパと会見し、その場で生け捕りにした。アタワルパの身代金として、莫大な金銀を受け取ったが政治的な理由[1]から彼を殺害する判断を下さざるを得ず、1533年7月26日処刑を敢行した。その後も、インカ帝国の分裂を巧みに利用しながら進撃し、11月にはインカ帝国の首都であるクスコに無血入城した。1535年1月18日に新首都としてリマ市を建設した。

しかしその、支配地の分配、特にクスコの領有権をめぐってアルマグロと対立し始め、1537年から内戦が始まった。1538年にアルマグロを処刑したが、1541年6月26日にアルマグロの遺児一派にリマで暗殺された。

ペルー人はインディオはもちろん、混血であるメスティーソの多くも自らのルーツを「インカ人」ととらえており、「ピサロは先祖が築いたインカ文明を破壊した人物」という認識をもっている。このためリマ建都400周年を記念に1935年にピサロの故郷のスペイン・エストレマドゥーラからリマ市に贈られたピサロの騎馬像は、最初の十数年は大聖堂の前に置かれていたが、市民の反発で道一本隔てた大統領府前のアルマス広場の片隅に移された。その後、1990年代に再度反対運動が起こって、1998年ごろには「国民感情にそぐわない」との理由で撤去された。

2009年04月16日

チャパル(Čapar, ? - 1315年)

チャパル(Čapar, ? - 1315年)は、14世紀のモンゴル王族で、オゴデイ・ウルスの盟主。カイドゥの長男。漢字表記は察八児。

オゴデイ・ウルスのみならずチャガタイ家やアリクブケ家のウルス(遊牧所領)を服属させて中央アジアに王国を築いていたカイドゥの長子であるが、母親の身分が低く、後継者候補から外されていた。1301年、カイドゥが大元ウルス(元朝)との戦いで受けた傷がもとで死亡すると、実力のないカイドゥの子らに代わってマーワラーアンナフルに影響力を有していたチャガタイ家当主でバラクの息子ドゥアが発言力を持つようになるが、チャパルはドゥアの後援を受け、カイドゥが生前に後継者に指名していた弟オロスとの間でオゴデイ家の後継者の地位を巡って内紛を始めた。この過程で1304年、ドゥアとともに元に遣使し、大元ウルスを祖父クビライから継いだモンゴル皇帝(カアン)、テムルに臣従を誓い、カイドゥのもとで30年来続いていた中央アジア諸王家と大元ウルスのクビライ皇帝家との争いを終結させた。

しかし、オロスとチャパルの争いは時を経るに従ってオゴデイ家の分裂を促進させ、そこにドゥアのチャガタイ家と、懐寧王カイシャン率いる元のモンゴル高原駐留軍が介入した。オゴデイ家の本拠地ジュンガリア(現在の新疆ウイグル自治区北部)は西のイリ川渓谷地方を本拠地とするドゥアの軍と東のアルタイ山脈を越えて侵入してきたカイシャンの軍によって挟み撃ちされる形勢になり、1306年にカイシャン軍がジュンガリアを平定した。これにより、旧オゴデイ家領の遊牧民はドゥアの保護下に入り、いまや邪魔者としてドゥアに追われる身となったチャパルは1310年ついに元に投降した。このころ大元ウルルの皇帝となっていたカイシャンはチャパルの来帰を喜び、曽祖父クビライの時代に中国内のカイドゥの領地として設定されていた河南省南部の地を授け、汝南に住まわせた。

1315年、チャパルはカイシャンの弟で次のモンゴル皇帝(カアン)となったアユルバルワダによって汝寧王の爵位を与えられ、同年に没した。

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2009年04月01日

ケチャップ

ケチャップ (英: ketchup) とは、トマトまたは魚などを原料にした調味料。トマトを用いたものはトマトケチャップと呼ばれる。
歴史的に「ケチャップ」という言葉は、必ずしもトマトケチャップのみを意味してきた用語ではない。過去にはキノコなどで作られたソースや魚醤などを含む、ソース全般を指していた言葉であった。

文献上は1699年のイギリス最初の俗語辞書 "BE's Dictionary of the Canting Crew of 1699" に、catchup の説明として「東インド奥地のソース(a high East-India Sauce)」と書かれているのが最古らしく、現在の東南アジア起源と考えられ、語源の研究から、小魚に塩を加えて煮てから発酵させ、濾過して取れるアミノ酸や核酸を豊富に含んだ液体、すなわちタイのナンプラー、ベトナムのニョクマム、秋田のしょっつるの様な魚醤であったと考えられる。
キシラン ノート ローズ マッハ リボ デリバラ 田舎国 ゴマナ ゲート フォトモ ザンス カッコー コッチ チリン シャー タジーン メーカ ディング モード アップ クロゼ レイオ モラトリ ダイキリ サイリウム レセプト クオリア ロトロン シーラーズ プルマン タリフレ ハッチ カップ ブローシャー オレキシン タバーン ノード ビッシング ヒットラー タッチ きくま 深呼吸 ゾディア はつう パラコート マスコ 和銅 しちの トラック ビヨウ

これが伝わったイギリスではキノコの保存調味料(キノコに塩を振り、2・3日置いてからしみ出た汁を香辛料と煮詰めたもの)が考案され、現在でもパイやシチューに使用されている。その他の初期のケチャップはカキ、アンチョビ、ロブスターといった魚介類や、クルミ、インゲンマメ、キュウリ、ブルーベリー、クランベリー、レモンそしてブドウなど植物素材を材料とするソースが考案され、さまざまなスパイスが加えられるなどして変化しながらバリエーションを増やしていった。

やがてイギリスから伝わったアメリカで、当時ようやく食用とされはじめていたトマトを使ったタイプのケチャップが考案された。最古のレシピは1795年の "Receipt Book of Sally Bella Dunlop" とされるが、切ったトマトに塩を振り、2・3日置いてからしみ出した果汁を香辛料と煮詰めたもので、酢も砂糖も加えていない(現在とは違い、調理中に隠し味として使ったと考えられている)。

その後ハインツ社が1876年に瓶詰めトマトケチャップを販売し、広く普及した結果、ケチャップの代表になったといわれている。

日本のトマトケチャップは、明治期にアメリカから伝わったものが最初とされてる。

国産製品は1908年(明治41年)、現在のカゴメ創業者の手によるという説もあるが、1896年(明治29年)に横浜で清水與助が創業した清水屋が、1903年(明治36年)に製造販売を開始したという記録が横浜開港資料館所蔵の資料に残っており、これが最初の国産ケチャップであると考えられる。この清水屋ケチャップは、1913年に南区で開かれた勧業共進会で銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなったという。初期には主に軍需品として消費され、一般に普及したのは第二次世界大戦後のことである。

語源 [編集]
魚を塩漬けにして発酵させた食材を福建語の一種である閩南語で「鮭汁(kechiap、koechiap)」[1]と言い、これがケチャップの語源だと言われている。この食材は今で言う魚醤であり、これがマレー半島に伝わって「kichap」または「kecap」と呼ばれ、更にこれがヨーロッパに伝わるとキノコ、トマト、クルミなどを原料として「catchup」または「catsup」と呼ばれた。その後アメリカでトマトケチャップが普及し、現代のアメリカ英語では「ketchup」と表記するのが最も一般的となっている。

「鮭汁(kechiap、koechiap)」の場合の「鮭」は「塩辛」を指す方言字で、魚のサケとは無関係。閩南語と非常に近い台湾語でも塩辛を「鮭」(ke または koe)と呼ぶ[2]。台湾語には、トマトケチャップを指す kiat-chiap-puh (キエッチアップッ)という語彙もあるが、これは日本語もしくは英語からの借用語と見られる。

マレー語の「kicap」とインドネシア語の「kecap」は、現在魚醤以外に大豆の醗酵調味料である醤油の意にまで広がっており、むしろ今日では醤油を指す場合の方が多い。

なお、広東語では、魚醤と同じく魚を使ったウスターソースを「?汁(gipjap、キッチャプ)」と呼ぶが、マレー語、またはそれ由来の英語「kichap」の音訳である。後にトマトケチャップが作られると、「ketchup」から「茄汁」(kejap、ケーチャプ)と音訳した。広東語で「濃い汁」を「gitjap(ギッチャプ)」と言えなくもないが、一般的ではなく、古い辞書にも見当たらないため、ケチャップの語源と考えるのは無理がある。

トマトケチャップ
トマトケチャップは、現在ケチャップを代表するものとなっている。

基本的なトマトケチャップの作り方は完熟トマトを加熱してこし、さらに低温で煮詰めてトマトピューレをつくる。それに、砂糖、食塩、酢、オールスパイス、クローブ、シナモンなどを加える。玉ねぎ、セロリ、その他の野菜がしばしば加えられる。トマトケチャップは、ホットドッグ、ソーセージ、オムレツ、ハンバーガー、フライドポテトなどにかけて使用される。酢豚やエビチリなど、中華料理に用いられる事も多い。

米国のトマトケチャップ消費量は4000万リットルで、世界のほかの国と比べ抜きん出て多い。一説によれば世界のケチャップ生産量の半分はアメリカの若年層により消費されている換算になる。 また、調理用としてはあまり使われず、ほとんどが卓上調味料として消費される。

イギリスやオーストラリアなどアメリカ以外の多くの国では酢が入っていないトマトケチャップをトマトソース、レッドグレイビー、レッドソースなどの名前で販売している。

日本でも好まれる調味料の一つであり、洋食には欠かせない。チキンライス・オムライス・ナポリタンなどトマトケチャップを使った日本独自のメニューがある。